日本を巡るお寺・神社の旅

癒しを求め、各地を旅しながらお寺や神社をお参りした時の記録。

西国(3) 西国三十三所最大級の本堂 粉河寺

西国三番札所(和歌山県紀の川市粉河

風猛山 粉河寺(こかわでら) 粉河観音宗


癒しのポイント

 「絶対の秘仏」と呼ばれる、千手千眼観音菩薩像。いまだかつて、誰も見たことが無い仏像が本尊とされています。西国三十三所には、”秘仏”と呼ばれる、普段が厨子などの中に収められて、誰も姿を拝観することが出来ない仏様をお祀りしているお寺が少なくありません。
 しかし、ほとんどの秘仏は、例えば33年ごと、あるいはご縁のある日だけ、と言った具合に、なんかのタイミングで御開帳があり、そのお姿を拝観することが出来ます。しかし、西国三十三所で、唯一、御開帳をされたことが無い絶対の秘仏となっているのが、この粉河寺の千手千眼観音菩薩です。一般に、秘仏が本尊のお寺では、”お前立ち”と呼ばれる、本尊に模した仏像や、本尊にご縁のある仏像が、秘仏である本尊の前にお祀りされています。この粉河寺でも、お前立ちの千手観音も秘仏となっています。なお、ご本尊は、本堂地中に厳重な姿で埋められていると伝えられています。
 誰も、姿を見たことが無い観音菩薩像に思いを馳せながら、お参りするのもよいかと思います。

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粉河寺縁起絵巻(国宝)に伝えられる逸話


 昔、紀伊の国で漁師をしていた大伴孔子古(おおとものくじこ)が、山中に不思議な光を発する場所を見つけ、そこに小さな庵を立てたそうです。これが粉河寺の始まりと伝えられています。ある時、その庵を童子が訪ねてきて、一夜の宿を願い出ました。童子は宿のお礼にと、7日かけて千手観音菩薩像を作り上げると、翌朝には姿を消してしまったそうです。以来、大伴孔子古はその観音様を篤くお祀りしたとのこと。

 

 そして時は過ぎ、河内の国に佐太夫と名乗る長者がいて、その娘が重い病を患っていました。ある時、佐太夫の家に童子が訪れて、千手千眼観音菩薩へ御祈祷をしたところ、娘の病は全快したそうです。童子はお礼にと受け取った提鞘(小さな太刀)と緋の袴を携えて立ち去りました。その時、自分は紀伊の国にいると言い残していたため、こちに長者一家がその土地を訪ね歩くと、大伴孔子古が建てた庵に行き着きます。なんと、そこにお祀りされていた観音菩薩像が、長者がお礼に渡した提鞘と緋の袴を手にしていたという事です。童子観音菩薩が化身となって現れたのだということです。


お寺への行き方


 JR和歌山線粉河駅から、門前町を徒歩15分です。但し、JR和歌山線和歌山駅から、あるいは逆に五条、橋本駅から)は、電車の本数が少ないので時間には要注意です。車では、京奈和道自動車道の紀の川東インターから約2km(たいだい5分程度)の場所にあります。周辺には駐車場もあります。
 駅からの門前町は、残念ながらシャッター通り化していますが、それでも数件の飲食店や土産物屋さんがあります。

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粉河寺周辺

参拝の記録


 粉河駅からまっすく門前町を歩くと、その突き当りに立派な山門(大門)があります。京奈和自動車道からの場合は、山門の内側に着くことになります。

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山門

 山門を入って本堂までの参道脇には、いくつかのお堂があります。春には桜並木となりとても美しいそうです。私が訪問した時は、まだ肌寒く桜もつぼみの状態でした。

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参道

横に流れるのが粉河、米のとぎ汁を流したように白い水が流れていたことから、この名がついたそうです。が、いまはとても澄んだきれいな水でした。

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参道

 千手観音の化身と言われる童子の姿を描いた、童男大士を祀るお堂です。童男大士像も秘仏となっていますが、毎年の終わり観音の日である12月18日の童男会(どうなんえ)に御開帳されます。で、普段はお堂の中は見えませんが、一年に一度御開帳の機会があります。

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童男堂

 出現池。千手観音の化身と言われる童子が、柳の枝を手に白馬にのってこの池より現れたとの言い伝えがあります。

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出現池

 さらに進むと、念仏堂、そして薬師堂があります。

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念仏堂

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薬師堂

 そして、立派な中門(重要文化財)に突き当たり当たります。風猛山の揮毫は、紀州徳川家の十代藩主である徳川治宝直筆とのこと。

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中門

そして秘仏である千手千眼観音菩薩をお祀りしている本堂。西国三十三所のなかでも最大級の大きさを誇る立派なお堂です。

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本堂

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本堂(寄り)

 本堂から、少し脇にまわると、丈六堂、六角堂、千手堂など、いくつかのお堂があります。

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丈六堂

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六角堂

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千手堂

 本堂脇に、とても綺麗な桜(河津桜)が咲いていたので、

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本堂横の桜

御朱印


 御朱印は「大悲殿」

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御朱印

 

 

西国(2) 紀伊国屋文左衛門出世の地 金剛宝寺

西国二番札所(和歌山県和歌山市紀三井寺

紀三井山 金剛宝寺(こんごうほうじ) 救世観音宗 別名:紀三井寺(きみいでら)


癒しのポイント

 金剛宝寺は、古くは紀三井寺と呼ばれて親しまれてきました。山内には三つの井戸があり、紀三井寺の三井水(さんせいすい)と呼ばれており、日本名水百戦にも選ばれれています。山門をくぐってすぐ右側にあるのが「清浄水」、少し上に上がり右側に歩くと「楊柳水」、山門を出て少し境内の外を北側に歩くと「吉祥水」があります。

 「清浄水」は、紀三井寺を開山した為光上人が、大般若経六百巻を写経し終った時に、上人の前に竜宮の乙姫が現れ、そして上人に竜宮での説法を乞うて清浄水に没して龍に化身したとの伝承があります。「楊柳水」と「吉祥水」は、長年荒廃していたものを、近年になって復旧したとのことです。

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清浄水の上側にある祠(清浄水の写真は撮り損ねました)

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柳龍水

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山門から10分ほど歩いた場所にある吉祥水

紀伊国屋文左衛門と結縁坂


 紀三井寺は山門から本堂まで、実に231段が石段があります。(年配の方の参拝はきついかもしれません)。この坂を「結縁坂(けちえんざか)」と言います。
 紀州から温州みかんを江戸に持って行くことで財を成した、江戸時代の豪商、紀ノ国屋文左衛門は、若い頃には紀三井寺の近くに住んでいた貧しい青年だったようです。ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお参りしている時、草履の鼻緒が切れてしまったそうです。その時、困っている文左衛門を見かけて、草履の鼻緒をすげ替えてくれたのが、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社宮司の娘おかよだったそうです。これが縁となり、文左衛門とおかよは恋をして夫婦になったとのこと。
 この後、文左衛門は、おかよの実家である宮司の出資金によって船を仕立て、みかんを江戸へ送って財を成したのです。紀ノ国屋文左衛門の、結婚と出世の縁となった紀三井寺の表坂を、後に「結縁坂」と呼ぶようになったそうです。

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結縁坂

お寺への行き方


 JRきのくに線、あるいは南海電車南海本線で大阪から約2時間。最寄り駅はJR紀勢本線紀三井寺駅。そこからは徒歩で10分です。車では阪和自動車道で和歌山南ICを降りて20km(約20分)。あるいは、国道42号線で紀三井寺交差点をすぐ。あるいは県道154号線(国体道路)で同じく紀三井寺交差点をすぐです。山門近くに私営の駐車場がいくつかあります。普通車400円。交通の便は良いです。

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紀三井寺周辺

参拝の記録


 門前の土産物屋さんが数軒ある正面に、立派な山門(楼門)があります。そこから、有名な結縁坂を眺めることが出来ます。山門の手前で拝観料大人200円を払って入ります。

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山門(楼門)

 山門を入って結縁坂を上る途中には、いくつかの塔頭(大きな寺の中にある小さな寺)があります。山門のすぐ左手には、十一面観音を祀る七鈴観音のお堂があります。

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七鈴観音

 そして、その向かいには聖徳太子地蔵菩薩をお祀りしているお堂があります

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聖徳太子地蔵菩薩

 結縁坂の階段を上がると、途中にあるのが波切不動のお堂である瀧本院。この反対側に三井水の一つ、清浄水があります。

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波切不動

さらに上がると大日如来をお祀りしている宝蔵院。向かい側には弘法大師をお祀りしているお堂もあります。

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大日如来

 そして、さらに上がると西国霊場のご本尊である観音菩薩が祀られている六角堂。

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六角堂

 六角堂から右に向かうと新仏殿。高さ12mの大千手十一面観世音菩薩がお祀りされています。

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新仏殿

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観音菩薩

 六角堂から左に向かうと重要文化財の鐘楼、多宝塔、そして本堂になります。本堂横からは、和歌山の町並みを一望することができます。私の訪問は冬でしたが、実は紀三井寺は、和歌山県でも有数の桜の名所。季節になると、数えきれないほどの桜の見事な花に囲まれた境内を歩くことが出来ます。

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鐘楼

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大師堂

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多宝塔

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本堂

 


御朱印


 御朱印は「救世殿(ぐせでん)」

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御朱印

 

和歌山ウォーカー (Walker)

和歌山ウォーカー (Walker)

 

 



 

(神社) 都心にある強運厄除けと財運の神様 小網神社 

小網神社(こあみじんじゃ)(東京都中央区日本橋

主祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)(お稲荷大神
    市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)(弁財天)
    福禄寿

 


癒しのポイント

 昔、この地域に萬福庵というお寺(小さな庵と伝えられています)があり、観世菩薩と弁財天をお祀りしていたそうです。1466年、この神社周辺で疫病が流行してとき、ある年老いた漁師が、海で網にかかったという稲穂をもって、このお寺に訪れ、そしてしばらく逗留していました。ある日の晩、お寺の住職の夢枕に、お寺の開基と伝えられる恵心僧都が現れ、年老いた漁師は稲荷大神であると告げます。その翌朝、年老いた漁師の姿は無くなっていたそうです。お寺の住職は、この地に稲荷神社を建立し、この年老いた漁師を小網稲荷大明神としてお祀りすると、疫病が静まったということです。以来、この神社を小網神社と呼び、この地を小網町と呼ぶようになったそうです。

 東京のどまんなか日本橋が、かつては海に面しており、そのころの伝承を今に伝えている神社です。


強運厄除けの逸話


 第二次世界大戦の頃、どの街でも、戦地に行く兵士たちの無事を祈って、地元の氏神様へとお参りする習慣があったと聞き及んでいます。この神社もその一つですが、小網神社の御守を受けた兵士は全員生還をされたとのこと。

 また、昭和20年の東京大空襲では、その社殿や、境内に建物は奇跡的に火災を免れ残ったとされています。また、旧社殿は大正12年の関東大震災で倒壊したものの、当時の宮司が、稲荷大神や弁財天等の御神体を抱えて近くの新大橋に避難しましたところ、そこへ避難してきた人々にもなんの混乱もなく、また新大橋自体も落ちず、大勢の人が助かったといわれています。いまでも、新大橋のたもとには避難記念碑があり「小網神社御神体を伏して拝み、加護を願った」とあります。

 これらの逸話から、この小網神社は強運の神様として知られることとなります。 


神社への行き方


 最寄りは、東京メトロあるいは都営地下鉄人形町駅になります。東京メトロ日比谷線人形町駅A2出口から徒歩で5分の場所にあります。都営地下鉄都営浅草線人形町駅A5出口からは徒歩7分となります。
 また、他の駅からは、東京メトロ半蔵門線水天宮前駅8番出口から徒歩10分、東京メトロ東西線茅場町駅10番出口より徒歩15分です。
 東京の下町風情が楽しめる人形町の町並みを散策しながら参拝するのもいいかもしれません。ただし、ビルの谷間にありますので、道には迷わないように気を付けなくてはなりません。

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神社周辺

参拝の記録


 全ての道は日本橋に通じる。日本の道路の起点となる道路原票がある日本橋から、徒歩で5分の距離にあります。

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日本橋

 写真のようにビルに囲まれたこじんまりとした神社ですが、長い歴史をもつ由緒正しい神社です。正面は本殿で稲荷大明神をお祀りしています。
 社殿の側には(写真を取り損ねてしまいましたが)、弁財天がお祀りされています。この小網神社の由緒にもあるお寺でお祀りされていましたが、長い歴史の中でお寺は廃絶したため、弁財天だけがこの地に残されているとの事です。この弁財天の前には「銭洗いの井」という井戸があり、ここのお水でお金を洗うと金運が授かると言われています。

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小網神社

 なお、社殿の軒下の左右には、彫刻の龍が彫られており、天に昇る姿「昇り龍」と、天から降りる姿「降り龍」と呼ばれています。「昇り龍」は、参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝え、「降り龍」は、神様からの神徳を参拝者に授けると伝えられています。(次回訪問の際には写真を撮ってアップします)


御朱印


 龍をかたどった印が印象的な御朱印

 

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御朱印

 

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(神社) 瀬戸内の海に建つ大鳥居と荘厳な社殿 厳島神社 

厳島神社(いつくしまじんじゃ)(広島県廿日市市

※正しくは嚴島神社と書きます。

主祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

    田心姫命(たごりひめのみこと)

    湍津姫命(たぎつひめのみこと)


癒しのポイント

 安芸の宮島として、日本三景も数えられており、1996年にはユネスコ世界文化遺産に登録されています。(ちなみに、諸説あるようですが一般的に日本三景とは、広島県の宮島、宮城県の松島、そして京都府天橋立を言います)
 瀬戸内海に浮かぶ小さな島(宮島、またの名を厳島)にあり、橋が無いので渡船でしか渡ることはできません。渡船からは、海の中に建つ高さ16mの大きな鳥居越しに、平安時代寝殿造りによる荘厳な社殿を見ることが出来ます。
 厳島神社主祭神は、宗像三女神と呼ばれ、須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原(たかまがはら)で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に邪心の無い事を示す御誓(うけい)を行った時に生まれたとされる神様であり、その由緒から御皇室の安泰や国家鎮護、そして海の守護神として多くの人々の信仰を集めてきました。

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厳島神社遠景

宗像三女神の神話


 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を父神とし、伊邪那美命(いざなみのみこと)を母上として生まれた、三貴神天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、そして須佐之男命(すさのおのみこと:建速須佐之男命素戔嗚尊など、記紀により幾つかの表記があります)は、それぞれ天の国である高天原、あの世である黄泉の国、そして海原を支配地としていました。
 しかし、須佐之男命は母である伊邪那美命がいる黄泉の国へ行きたいと願う思いが強く、泣き叫ぶことで、天地に甚大な被害を与えてしまい、父である伊邪那岐命の怒りを買い、支配地から追放されることになります。
 そこで、須佐之男命は、黄泉の国へ行く前に、高天原を支配する姉の天照大御神に会おうと高天原へ向かいます。すると須佐之男命の歩くたびに山が響き渡り、天照大御神須佐之男命が高天原を奪いに来たのではないかと考えました。
 須佐之男命は、姉の天照大御神の誤解を解くために、御誓(うけい)と呼ばれる真偽を明らかにする占いを行います。その儀式のなかで、天照大御神須佐之男命の持つ十拳剣(とつかのつるぎ)をかみ砕いた時に、天照大御神の息の霧から生まれたのが、厳島神社主祭神である三柱の女神(宗像三女神)となります。
 なお、御誓の結果は、須佐之男命によこしまな野心などないと認められ、天照大御神に受け入れられることとなります。

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神社への行き方


 JR山陽本線の宮島口駅、あるいは広島電鉄広電宮島口駅から、徒歩5分の所にある船着場から渡船で向かうことになります。渡船は、JRが運行しているJRフェリーと、別の業者が運行している松大汽船があり、宮島口桟橋から宮島フェリーターミナルまで、ともに頻繁に船が出ています。フェリーですので自家用車、バイク、自転車で乗り込むことも可能です。所要時間は約10分、料金は共に片道大人180円。
 JRフェリーには少し大回りになりますが、大鳥居のそばにまわってくれる便があります。一方、松大フェリーは宮島でのロープウェイなどにも乗れる少しお得な1日乗車券ありますので、ご旅行の都合にあわせて使い分けもできます。
 宮島フェリーターミナルから厳島神社までは、島内の門前町(ホテルや旅館、飲食店や土産物屋さんがたくさんあります)を歩いて、1km、徒歩12分程度です。

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厳島神社周辺

参拝の記録


 広島駅から山陽本線で約30分のところにある宮島口駅が玄関口になります。広島駅からは広島電鉄も同様に宮島口まで走っていますが、時間は倍かかります。世界遺産になったからでしょうか、外国人観光客がとても多く国際色豊かな街になっています。

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玄関口の宮島口駅

 フェリーは大鳥居から少し離れたコースを取りますが、日中は大回りして大鳥居の近くにまわってくれる便もあります。海の上に建つ鳥居は、まるでファンタジー映画のシーンのような感じで不思議な感覚です。

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大鳥居

 島内の門前町を歩いてくると、このように社殿の全景が見られるスポットもあります厳島神社の手前に少し半島っぽく突き出た場所にある豊国神社からは、このように社殿と大鳥居がいい感じで眺めることが出来ます。

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社殿

 入り口から入って本殿にゆくまでは、このようにフォトジェニックな朱の鮮やかな東回廊をあるいてゆきます。なんとなく平安絵巻をみている気分になります。

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東回廊

そして神社中央部に位置する本殿。度重なる台風や風水害で、何度も倒壊したそうですが、そのたびに人々の努力でこうして復活を遂げているとの事。

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本殿

 ちなみに、島内にはシカが生息しており、まるで奈良公園のように、観光客の間を我が物顔で歩いています。一度、夜に島内を散策すると、至る所で休んでいるシカに遭遇しますが、暗闇に目だけが光るのでびっくりすることがあります。

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島内のシカ

 廿日市市で作られているお酒「弥山(みせん)」。弥山とは厳島神社のある宮島の山の名前で、古くは山自体がご神体として信仰の対象となっていたそうです。いまはロープウェイで山頂まで上がって観光することが出来ます。

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弥山

 


御朱印


 神紋の三つ盛り二重亀甲に剣花菱をかたどった印。

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御朱印

 

 

 

 

(神社) 関西の合格祈願はここにおまかせ 北野天満宮

北野天満宮(きたのてんまんぐう)(京都府京都市上京区

主祭神 菅原道真


癒しのポイント

 学問の神様で有名な天神様(菅原道真)、試験の合格祈願で受験シーズンには大賑わいです。もともと天神様とは、雨を降らす雷神を指し、古来信仰の対象となっていました。菅原道真は没後、神格化されて天神様として祀られることとなります。学問以外にもご神徳があり、農耕の神、至誠の神、冤罪を晴らす神、芸能の神、厄除の神としても知られています。
 境内中には梅、そして紅葉があり、春や秋には景色を散策することも見どころです。特に梅は有名で、年末には巫女さんたちが作った「大福梅」が配られますし、お正月には梅枝(ずばい)が配られ、招福の梅の枝「思いのまま」と呼ばれています。
 門前には、とても美味しい粟餅のお店があり、出来たてを食べるのも楽しみです。お土産にもいいですよ。

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粟餅の店 澤屋

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おいしい粟餅

菅原道真の伝説


 右大臣であった菅原道真は、政敵であった左大臣の讒言により九州の太宰府に左遷されます。その後、大宰府で亡くなると、都では災害が相次いだそうです。人々は、その災害を道真の祟りだと噂するようになります。やがて朝廷は、怨霊の祟りを鎮めるために、菅原道真の名誉を回復し、正二位の官位を贈ったそうです。後に、菅原道真の御霊を祀るために神社が造営されたと伝えられています。
 菅原道真は、幼いころから学業に秀でるとともに、和歌や漢詩にも才能を発揮したどそうです。そのたぐいまれなる能力で、右大臣と言う要職に就くことになりますが、有能故に政敵の陰謀にかかってしまうという波乱に満ちた人生を送ることになります。優れた人物にも関わらず、不遇な晩年を過ごしたことで多くの伝説が生まれたようです。

菅原道真 (人物叢書)

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神社への行き方


 京都市内なので公共交通機関はたくさんあり、とても便利です。JR京都駅からが京都市バス50系統、あるいは101系統。京阪電車三条駅からは京都市バス10系統、阪急電車の大宮駅からは京都市バス55系統がでています。また、近隣の鉄道駅からも京都市バスが沢山でています。
 また京福電鉄四条大宮や嵐山から出ています。嵐電(らんでん)の愛称で親しまれています。嵐山本線帷子ノ辻駅で、北野線に乗り換え、終点の北野白梅町駅が最寄り駅です。鳥居前まで徒歩500mです。

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北野天満宮の周辺

参拝の記録


 楼門と拝殿の間にある中門、華美ではありませんが厳な造りの三光門。中央の上部に掲げられた「天満宮」の文字は後西天皇の御筆になるもの。重要文化財に指定されています。
 門の名前になった三光とは、日、月、星を指します。門の梁の間には、日と月の彫刻があります。星の彫刻がありませんが、都の方角からこの門を眺めた時に、その上に輝く北極星があり、これを併せると、三光になります。

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三光門

 そして、国宝に指定されている社殿。大きな桧皮葺屋根の総面積は約500坪にもなります。菅原道真公をおまつりする本殿、その正面の拝殿、そして本殿の西には脇殿がある権現造りとなっています。

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国宝 社殿

御朱印


 北野天満宮には様々な御朱印があります。基本は梅の花をかたどったしんぷるなものです。

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御朱印

そして、菅原道真公にちなんだ、至誠、和魂漢才、そして文道大祖 風月本主。
また、北野天満宮は、8種類の刀剣御朱印もありますが、私はまだ頂いていません。次に参拝した際には、と思っています。

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御朱印

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御朱印

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御朱印

 

菅原道真の史跡をめぐる (京都を愉しむ)

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西国(7) 悪龍改心の伝説、日本最古の厄除け寺 岡寺

西国七番札所(奈良県高市郡明日香村岡)

東光山 岡寺(おかでら) 真言宗豊山派 別名:龍蓋寺(りゅうがいじ)


癒しのポイント

 明日香村を眺める小高い岡の上にある、日本最初の厄除け霊場として知られているお寺です。歴史も古く、740年に書かれたとされる正倉院文書にも、龍蓋寺所蔵と書かれた仏典があると記されているそうです。
 近くには蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳(岡寺から800m)、少し先には極彩色の女子群像で有名な高松塚古墳(岡寺から4km)、同じく壁画で有名なキトラ古墳などもあり、飛鳥時代に思いを馳せながら散策すると楽しいです。

水鏡全評釈

水鏡全評釈

  • 作者:河北 騰
  • 発売日: 2011/10/19
  • メディア: 単行本
 

悪龍退治の伝説


 かつて飛鳥の地を荒らして民衆を困らせていた悪龍を、岡寺を創建したと伝えられる義淵僧正が法力によって封じ込めたという伝説があります。岡寺の中には、龍蓋池と呼ばれる池があり、悪龍はこの池に封じられ大きな石で蓋をされたそうです。この悪龍は、後に改心して善龍となり、いまでもこの池に眠っていると伝えられています。
 この伝説ゆえに、岡寺は、古くは龍蓋寺(りゅうがいじ)と呼ばれていました。今では、正式名称は岡寺ですが、この古き名前も併せて残っています。
 悪龍を法力で鎮め、改心させた伝説から、この岡寺は厄除け信仰の寺として知られることになります。

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龍蓋池

お寺への行き方


 近鉄電車で大阪阿部野橋駅(JR天王寺駅横)から、急行で約45分の岡寺駅(特急は停車しません)、あるいは特急で約40分の飛鳥駅(急行も停車)が最寄りです。ただし、岡寺駅前からはバス・タクシーが無いため徒歩で1時間の道のりになります。飛鳥駅からはレンタサイクル(1日900円程度)で約20分ほどになりますが、途中の古墳散策などを考えているのであれば、良い選択かもしれません。
 少し離れますが橿原神宮前駅(特急停車駅)の東口からは、バス(奈良交通)で岡寺前まで行くと、そこからは徒歩10分で到着します。いずれにしても、最後は500mほど山門までの少し急な坂を上る必要があります。
 車であれば、奈良市内から約30km。国道169号線を吉野方面へ南下して、岡寺駅前を東に県道155号線を進みます。

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岡寺周辺

参拝の記録


 少し急な坂道を登り切ると入り口になります。入り口の少し下に小さな無料駐車場がありますが、狭い道を通ることになるので、慣れない人は避けた方が良いかもしれません。山下には寺とは関係がありませんが民営の駐車場があるそうです。入り口では入山料400円を納めて境内に入ります。

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入り口

 重要文化財にも指定されている山門(仁王門)。立派な仁王様と、屋根の軒下四隅に、「阿獅子」「吽獅子」「龍」「虎」の彫り物がある珍しいものです。

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山門

 山門をくぐり、階段を上ると手前の小さな楼門(奥に書院があります)、阿弥陀三尊をお祀りする開山堂(納骨・回向堂でもあり、檀家の方々の法要はここで行われるようです)、そして塑像(土で作られた像)としては日本最大と言われる如意輪観音座像をお祀りする本堂。如意輪観音は、衆生のあらゆる苦しみを解き、世間の利益を与えてくれるという観音様。多くは六臂(腕が6本)で片膝をついた姿ですが、岡寺の如意輪観音は二臂で座像となっている珍しいものです。銅像東大寺の廬舎那仏、木像の長谷寺の十一面観音、そして塑像の岡寺の如意輪観音は、日本三大仏と言われています。
 本堂の奥には納経所があり、ここで御朱印を頂けます。

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境内から本堂を眺める

 本堂から奥の院に向かう途中にある瑠璃井。弘法大師ゆかりの厄除けの水として知られています。現在は飲むことはできないそうですが、釣瓶が置いてあり汲み上げることが出来ます。私は、水を手にかけてきました。

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瑠璃井

 奥の院までの途中にある鎮守の稲荷社。

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稲荷社

 本堂から山に向かって歩くこと約3分で奥の院です。とても小さなお堂で、岩に穴をくりぬいた洞窟(弥勒の窟と呼ぶそうです)で、奥には弥勒菩薩がお祀りされています。素朴な石造りの弥勒菩薩には神々しさを感じます。
 大人だと、腰をかがめて入らなければならないほど小さな洞窟なので、頭上や足元には要注意です。

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奥の院

 立派な三重宝塔。

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三重宝塔

 大師堂と修業大師。

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大師堂

 入り口には立派なしだれ梅。

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しだれ梅

御朱印


 御朱印は「厄除大悲殿」(大悲殿は観音菩薩のいらっしゃる場所と言う意味)

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御朱印

 

奈良おでかけ地図

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  • 発売日: 2013/10/02
  • メディア: Kindle
 

 

 

西国(6) 壷坂霊験記にも語られる眼病に霊験あり 壷阪寺

西国六番札所(奈良県高市郡高取町壺阪)

壷坂山 南法華寺(みなみほっけじ) 真言宗 通称:壷阪寺(つぼさかでら)


癒しのポイント

 南法華寺(通称:壷阪寺)は、古来、眼病に霊験あらたかなお寺として知られています。それにちなんだ目のお守りなどは壺阪山ならではかと思います。ちなみに売店では眼病封じのせんべい、目薬の木茶、目薬の木あめ、、なども。
 もう一つ、壷阪寺は長年インドへの医療支援に尽力しており、その返礼とインドから大釈迦如来石像、大観音石像、大涅槃石像などが送られています。歴史のある日本の寺ながら、少し風変わりなインド寺院の雰囲気を味わうこともできます。
 吉野山を背後にして、奈良盆地を一望する高台にあり、遥か眼下にある明日香の町並みを一望できる景色も素晴らしいです。


壷坂霊験記 伝説 (壷阪寺Webより)


 今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。
 「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。
 不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。

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お里・沢市の像

 

小明の感じる仏像 霊山寺・壷阪寺編 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: エースデュース
  • 発売日: 2010/02/19
  • メディア: DVD
 

お寺への行き方


 近鉄電車で大阪阿部野橋駅(JR天王寺駅横)から、特急あるいは急行で約40分のところにある壷阪山駅が最寄りです。駅前からはバス(奈良交通)の壺阪山行きに乗り約10分(330円)で到着です。但し、バスは1時間に1~2本程度。閑散期は2時間に1本程度となりますので時刻は要チェックです。タクシーだと壺阪山駅から約10分、1500円程度になります。
 自家用車であれば、橿原市から国道169号線を南下し、壷阪山駅を過ぎて1.6kmほどした清水口交差点を左折して1.7kmです。急な上り坂ですので歩きはかなり厳しいと思います。駐車場は普通車500円です。

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壷阪寺周辺

参拝の記録


 駐車場のすぐそばに境内への入り口があります。入山料は600円。通路右手は講堂、左手には養護盲老人ホームがあります。

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入り口

 山門(仁王門)、立派な仁王さんが出迎えてくれます。

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山門

 大日如来座像がお祀りされている多宝塔。

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多宝塔

 灌頂堂、十一面千手観音菩薩が本尊として祀られており、その両脇に豊臣秀長公像、本多俊政公像がお祀りされています。

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灌頂堂

 普照堂と呼ばれる禮堂。そして奥には八角円堂と呼ばれる本堂があります。703年創建と言われる八角堂は、日本でも最も古くに建てられたものと言う説もあるそうです。禮堂は文字通り、本堂を礼拝するためのお堂ということです。

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普照堂(禮堂)、後ろには八角円堂(本堂)があります

 たまたま、参拝した時期に「大雛曼荼羅」というものをやっていました。禮堂の中に所狭しと並べられた2020体の雛人形と、中央からのぞく本堂の十一面千手観音雛人形には”変わり種”もあり、オムライスやおにぎりを食べているお雛様、チェロを弾いているお雛様、ゴルフをしているお雛様もいるみたいです。2020年3月末までらしいので、行かれた方はいろいろなお雛様を探してみてはいかがですか。

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本堂内部(1)

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本堂内部(2)

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本堂内部(3)

 重要文化財の三重塔。

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三重塔

 慈眼堂、かつてあった阿弥陀堂の木を再利用して、近年建てられたお堂です。お釈迦様の涅槃像、そしてお釈迦様の誕生から涅槃までの生涯を描いた絵が飾られています。また、二層目にはかつての阿弥陀堂にお祀りされていた阿弥陀如来がお祀りされているそうです。

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慈眼堂

 まよけ橋。わたると、向こう側には仏伝図のレリーフがあります。

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まよけ橋

御朱印


 御朱印は「普照殿」(本尊の十一面千手観音菩薩を祀りしている本堂の名前)

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御朱印

 

 

るるぶ奈良'21 (るるぶ情報版地域)

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  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ジェイティビィパブリッシング
  • 発売日: 2020/01/14
  • メディア: ムック