日本を巡るお寺・神社の旅

癒しを求め、各地を旅しながらお寺や神社をお参りした時の記録。

(神社) 都心にある強運厄除けと財運の神様 小網神社 

小網神社(こあみじんじゃ)(東京都中央区日本橋

主祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)(お稲荷大神
    市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)(弁財天)
    福禄寿

 


癒しのポイント

 昔、この地域に萬福庵というお寺(小さな庵と伝えられています)があり、観世菩薩と弁財天をお祀りしていたそうです。1466年、この神社周辺で疫病が流行してとき、ある年老いた漁師が、海で網にかかったという稲穂をもって、このお寺に訪れ、そしてしばらく逗留していました。ある日の晩、お寺の住職の夢枕に、お寺の開基と伝えられる恵心僧都が現れ、年老いた漁師は稲荷大神であると告げます。その翌朝、年老いた漁師の姿は無くなっていたそうです。お寺の住職は、この地に稲荷神社を建立し、この年老いた漁師を小網稲荷大明神としてお祀りすると、疫病が静まったということです。以来、この神社を小網神社と呼び、この地を小網町と呼ぶようになったそうです。

 東京のどまんなか日本橋が、かつては海に面しており、そのころの伝承を今に伝えている神社です。


強運厄除けの逸話


 第二次世界大戦の頃、どの街でも、戦地に行く兵士たちの無事を祈って、地元の氏神様へとお参りする習慣があったと聞き及んでいます。この神社もその一つですが、小網神社の御守を受けた兵士は全員生還をされたとのこと。

 また、昭和20年の東京大空襲では、その社殿や、境内に建物は奇跡的に火災を免れ残ったとされています。また、旧社殿は大正12年の関東大震災で倒壊したものの、当時の宮司が、稲荷大神や弁財天等の御神体を抱えて近くの新大橋に避難しましたところ、そこへ避難してきた人々にもなんの混乱もなく、また新大橋自体も落ちず、大勢の人が助かったといわれています。いまでも、新大橋のたもとには避難記念碑があり「小網神社御神体を伏して拝み、加護を願った」とあります。

 これらの逸話から、この小網神社は強運の神様として知られることとなります。 


神社への行き方


 最寄りは、東京メトロあるいは都営地下鉄人形町駅になります。東京メトロ日比谷線人形町駅A2出口から徒歩で5分の場所にあります。都営地下鉄都営浅草線人形町駅A5出口からは徒歩7分となります。
 また、他の駅からは、東京メトロ半蔵門線水天宮前駅8番出口から徒歩10分、東京メトロ東西線茅場町駅10番出口より徒歩15分です。
 東京の下町風情が楽しめる人形町の町並みを散策しながら参拝するのもいいかもしれません。ただし、ビルの谷間にありますので、道には迷わないように気を付けなくてはなりません。

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神社周辺

参拝の記録


 全ての道は日本橋に通じる。日本の道路の起点となる道路原票がある日本橋から、徒歩で5分の距離にあります。

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日本橋

 写真のようにビルに囲まれたこじんまりとした神社ですが、長い歴史をもつ由緒正しい神社です。正面は本殿で稲荷大明神をお祀りしています。
 社殿の側には(写真を取り損ねてしまいましたが)、弁財天がお祀りされています。この小網神社の由緒にもあるお寺でお祀りされていましたが、長い歴史の中でお寺は廃絶したため、弁財天だけがこの地に残されているとの事です。この弁財天の前には「銭洗いの井」という井戸があり、ここのお水でお金を洗うと金運が授かると言われています。

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小網神社

 なお、社殿の軒下の左右には、彫刻の龍が彫られており、天に昇る姿「昇り龍」と、天から降りる姿「降り龍」と呼ばれています。「昇り龍」は、参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝え、「降り龍」は、神様からの神徳を参拝者に授けると伝えられています。(次回訪問の際には写真を撮ってアップします)


御朱印


 龍をかたどった印が印象的な御朱印

 

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御朱印

 

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